■ フィリピン日系人に関して


● フィリピン日系人の現状

≪戦後の日系人
 太平洋戦争後、多数の日本人がフィリピンに残留しました。理由はいろいろです。現地の人と結婚した人、日本への帰還船に間に合わなかった人などです。戦後、残留日本人は苦難の道を歩むことになります。戦争の後遺症のため、残留者の殆どの人が日本人の名を捨て、フィリピン名を名乗り、隠れるように片田舎でひっそりと生きていたのです。その子供たちである残留二世も迫害を受けました。このような状態の中で、二世以下の日系人は、満足な教育も受けられず、一般的に貧しいといわれるフィリピン社会の中でも最も貧しい階層に属していました。戦前、その豊かさを誇ったフィリピン日系人社会は、戦争責任を一手に引き受ける形で犠牲を強いられることになりました。

≪全フィリピン日系人会連合会
 フィリピンでの反日感情が和らいだ1980年代に入ると、墓参に訪れた親、兄弟が生きている我が子や兄弟と劇的な再会を果たすケースも相次ぎました。残留者達の身元の確認も、少しずつ判明するようになりました。こうして、日本との繋がりが見え始めてきました。しかしながら、日本もフィリピンも戦後の混乱期を経てきたために、残留日本人及び二世の戸籍確認作業は遅々として進みませんでした。
 1990年こうした状況を打開するために、フィリピン全国の15の日系人会を統合する組織として、「全フィリピン日系人会連合会」が設立されました。フィリピン政府の証券取引委員会(SEC)にも登録し、全国的な組織としてフィリピン政府、日本政府に日系人の諸問題を働きかけるよう活動を開始しました。

≪存在の証しを求めて
 
19995年9月と1997年1月の2回にわたって、日本の外務省によってフィリピン残留日本人実態調査が行われました。この調査には日系人会連合会も全面的に協力をしました。その結果、約2,500人の残留二世が名乗り出ました。この人達は残留日本人の子供たちで、日本人です。戦後の混乱期を辛い思いをしながら耐えてきた人達です。しかしながら、親の国籍を有する人は1,000余名にしか過ぎませんでした。半数以上の人達の身元が確定しておりません。日本の戸籍に名前が搭載されていないため身元確認が出来ません。その後、日本のボランティア団体などの協力を得て、確認作業が進み身元が判明する人も増えてきました。現在も自分達は日本人であるという証を求めて身元確認作業は続いております。

≪日本での就労
 1990年日本の出入国管理法の改正によって、残留二世の子供たち所謂日系三世に日本における定住ビザが与えられるようになりました。戦後半世紀余を過ぎて、やっとフィリピン日系人に道が開けたのです。就職の機会の殆どないフィリピンで、日系人社会を築いていくためには外国で働くしかありません。この点で、日本で働けるということは大変な朗報でした。これによって、2万5,000人いるといわれる日系人三世が日本企業で就労することが可能になりました。これ以後、送り出し機関としての「フィリピン日系人互助財団」、また受け入れ機関としての「フィリピン日系人支援の会」を通して約3,000人の日系人が日本の企業へ就労しています。今後とも、戸籍が確定し、定住者ビザを取得した多くの日系人が日本の企業に就労し、フィリピン日系人社会の発展のため貢献することと思います。


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● フィリピン日系人互助財団

日系人互助財団の設立と使命
 1998年4月、当互助財団は設立されました。戦後半世紀の間、残留日本人、その子孫である日系二世、三世の人たちは大変な苦労を強いられました。自分達の身分の証を得るために、様々な努力を積み重ねてきました。戦後50年を経て、1990年日系人(三世)に定住者ビザが与えられようになり、事実上日本企業への就労の道が開けました。苦しい生活を強いられ続けてきたフィリピン日系人社会にとって一筋の光明が差し始めました。しかしながら、一方では悪質なリクルーターが暗躍し、無知な日系人を苦しめていました。法外なビザ費用や就職斡旋料を要求したり、拙悪な労働条件の職場に送り込んだりしてきました。こうした状況を打破するため、また良い企業を紹介する送り出し機関としての機能を果たすために互助財団は設立されました。現在までに、約3,000人の日系三世を日本の企業に送り込みました。全フィリピン日系人会連合会の統括機関として、これからも、多くの日系人の日本での就労を助け、日比の親善と、日系人社会の生活向上と地位向上のため努力する所存です。

≪困難な戸籍確認・戸籍登載作業
  これまで名乗り出ている約2,500人の残留日本人の半数以上が身元未判明の状態です。戸籍探し、戸籍確認作業、戸籍への登載作業は困難を極めております。現在もなお、こうした作業はフィリピン各地の日系人会の協力を得ながら、また日本のボランティアの方々の手助けを仰ぎながら地道に進められています。この作業が進めば、残留日本人の50年余の悲願である日本人としての証が得られ、さらにその子孫である日系人たちが自由に祖国との往来を果たす事が出来ます。彼等が日本で就労や勉学する事は、フィリピン日系人社会の生活水準及び地位向上に繋がると同時に、日系人が家族で日本に定住すると言う新しい可能性をも開くものです。

研修センターでの徹底した研修・教育制度
 貧しい家に育った日系人は、教育機会にも恵まれず、フィリピンでの就労の経験も乏しい人が大半です。そんな日系人たちが突然の日本での就労で、日本の労働環境、生活環境、日常の生活慣習、言語の違いなどに戸惑い、苦しむのは十分に予想されます。日系人が日本の企業の期待に応え、日本社会にうまく適応していくためには、事前の日本語教育はもちろん、日本の職場での働く心構え、日本人の物の考え方や習慣などを学ばなければなりません。
 日系人互助財団は、日本国内の支援組織「フィリピン日系人支援の会」の協力を得て、日本企業への就労が決まった日系人に対して、パンガシナンの互助財団研修センターにおいて約40日間の事前研修を責任を持って行っています。

≪悪質リクルーターからの自衛
 1990年以降、定住者ビザを取得した日系三世が日本で就労するようになりました。同時に、悪質なリクルーターたちが暗躍し、貧しく教育も十分に受けられなかった日系人たちの無知に付け込み、法外なビザ費用や就職斡旋料などを要求したり、拙劣な労働条件の職場に日系人を送り込んだりしてきました。また、リクルーターが偽造書類を作成し、他人の戸籍を無断で使って偽者を日本に渡航させたりする事例も報告されています。こうした悪質な行為に対して、日系人互助財団は設立以来闘っています。日系人に対する呼びかけ、日本企業に対しての警告などを通して悪質リクルーターの撲滅を図っています。

≪スタディ・ツアーへのご案内
 日系人三世の日本への就労の際に、少しでも日系人への理解を深めるためにフィリピンへのスタディ・ツアーを施行しています。フィリピン各地での会社説明会と日系人との直接面接が主な内容です。企業は、仕事の内容や住居、寮、生活環境などの説明を写真、ビデオなどを使って説明して頂きます。その後、就労希望日系人との直接面談を行います。採用する側、採用される側ともに納得する形で採用が決定します。現在、スタディ・ツアーは2カ月に1回施行しています。


⇒フィリピン日系人互助財団の活動内容


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